The motorcycle diaries

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樺太探検3
樺太探検2から続きです。今回はちょっと面白くない記事ですが、今後サハリンを旅する人への参考までに。
 
​結局サハリン滞在は相棒の休暇の都合でわずか1週間の弾丸ツアーでした。
でもコルサコフから最北端の町オハまで往復しましたし、村も少なく景色が変わらず距離が延ばせたり、バイク旅行としては2週間もあれば満腹かもしれません。見どころの多くは北緯50度以南の旧日本領にあり、人が住んでいるのも殆どが南です。特にユジノサハリンスク(旧豊原)を出てしまうと都市と呼べる街はありません。

ユジノの巨大ショッピングモール!
 自分の中ではサハリンは3つの地域に分類されていて、1つは南部オホーツク側。ここは日本領時代から開拓が進んでいた地域で、今も農業漁業中心に一番発展しています。北海道航路の入口のコルサコフ(旧大泊)から首都ユジノを過ぎてスミルヌイフ(旧気屯)までの道路は全線舗装されており、日本人の作った鉄道も現役で走っています。地理的に北海道の景色にも近く、気持ちよく走れます。ユジノは高級ホテルから安宿まであり、大きなスーパーでは何でも買える普通の都会ですが、日本軍の基地のあった北のポロナイスク(旧敷香)などは酒と魚の腐った匂いの漂う船員の町だったり、激しい貧富の差や治安や教育水準の低さを感じます。例えばトヨタのランクルに乗った金持ちが交差点で無造作に窓から投げるビール瓶。例えば小さな食料品店に入ると鉄格子があり、手の届かない鉄格子の向こうに商品が並んでいる。ロシアのガソリンスタンドでは当たり前の鉄格子ですが、パン一切れ買うのも鉄格子越しってのはロシアでも珍しいようです。そのくらい治安が悪いということ。相変わらずのロシアっぷりに安心感すら覚えます。
 
​ホルムスクの看板には日本時代の名前、真岡、の表記もありました。
ときどき日本名がそのまま使われている地名があります。
 2つ目は南部日本海側。日本領時代の港町ホルムスク(旧真岡)が今はロシア本土との玄関口になっているのでそこそこ栄えていますが、ホルムスクから北は寂れた村があるのみで道も殆ど未舗装で交通量も非常に少ないです。日本海を横目に絶景が広がっていたり、日本時代の遺構も多く、日本海側からスミルヌイフへ抜ける道はいくつかの川渡りもあり、ワクワクドキドキの連続の一番のおすすめエリアです。旅行者はいないので宿は期待できませんが、人に聞いて回れば何とかなるものです。我々はイリインスキー(旧久春内)で1泊数百円の宿を見つけました。もちろん宿の表示なんてないし、旧病院だったボロボロの建物に泊まっていたのは我々だけ。ベッドはたぶん入院患者が寝てたものでしょう。相棒のベッドは人の形にスプリングがへたってガチガチ。自分のベッドは寝返り打つと減衰しないでポヨンポヨン跳ね続ける貴重なものでした。いずれにしてもユジノ以外は宿の選択はほぼ無いです。あればラッキーくらいの感覚がよいと思います。因みに万一のためと思ってカウチサーフで検索するとサハリンでもホストが居ましたので多少言葉ができればトライするのも面白いかもしれません。
 
日本海側は景色が素晴らしく、旅のハイライトです。
​立ち寄った灯台で親子連れの娘にせがまれて記念写真。
最初から愛想のいい人に会うのは珍しかった。親父は日本好きだそうで日本語書かれたシャツ着てました。

 
 3つ目は北緯50度以北の旧ソ連領です。こちらは最北端のオハの手前数十kmが舗装されている以外はほぼ未舗装です。
無給油区間が一番長いので余裕をもって航続距離400km程度のガソリン容量は欲しいところです。
交通量は少ないですが、晴れていると車の巻き上げる埃がひどいので全身埃で真っ白になります。砂浜みたいなフカフカの路面も長く続くのでアクセル全開で楽しいですが、オフロードに慣れない人にはやっかいかもしれません。雨が降るとチュルチュルなのだそうです。
タタール海峡(間宮海峡)に石油運搬用の橋を建設する計画がありますし、サハリン北部にはこれからインフラ投資が進むと思われるので道路の全線舗装も時間の問題かと思います。
風景は大陸的なタイガの森やツンドラ地帯が広がる異国の雰囲気を楽しめます。ところどころに石油の採掘基地があるのでオハやノグリキなどは石油関係者の町です。やはり石油関係の出張者以外は旅行者は居ないので宿は限定されます。オハには小さなホテルが2軒あるだけでした。ちなみにホテルまで車で先導してくれた親切な地元の若者に「治安が悪いから気を付けて」と忠告されました。宿泊先ではバイクは必ず鍵のかかる庭に入れるか、庭がない場所では警備員常駐の駐車場を金払って利用するのが常識です。トヨタマーク兇波狃とデート中だった彼は狭いオハの町をぐるぐる走り続けるだけ。仕事も娯楽も無いのでしょうね。
 
最北端、オハの街並。ロシアの街並はどこも同じく古ぼけてくすんでいる。
オハのディスコで絡んできた酔っ払いと相棒。​最近弟を亡くしたと嘆いていました。
どんなところにも人間ドラマがあるのですね。さておき、このあとこの男と踊る羽目に...​これもドラマか?
​ 18年前のロシアでは交通警察の検問の頻度が非常に高く厳しかったのですが、今は止められることも無く非常に快適に旅できるようになりました。しかしそれでも何一つ取っても自由主義の国を旅するような感覚には全くゆきません。不自由さを楽しむのがロシア旅の一つの魅力かもしれません。
 さて、一足早く日本に帰った悪友とユジノで別れたのち、ひとりホルムスク(旧真岡)へ向かい、そこからロシア本土へとフェリーで渡った話を次回書こうと思います。悪友はロシア語堪能ですが、私は何も分からず。キリル文字なので看板や標識の文字の意味どころか発音すらできず。どうなっちゃうんでしょうか。
23:36 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
ヤマハWR250Fロシア旅仕様
ロシア旅行に使ったバイクは我ながら無茶なレーサーのWR250F。
​公道を走るようには設計されていないので元々はメーターも方向指示器もミラーも鍵さえも無し。そもそも旅での耐久性なんて神のみぞ知るです。これでロシア旅は言ってみれば野球のバットでテニスをやるみたいな感じでしょうか。
 ロシア行きを決めたものの、まともに公道走れる所有バイクはDUCATIのS4のみ。さすがにS4でオフロード走るわけにいかないし、新しくバイクを買うには国際ナンバーの申請の都合間に合わない。そんなわけでずっと埃を被っていたWRに消去法で決まりました。
​ まずは配線図と格闘しながら保安部品の作成取り付け。旅先での電気トラブルに備えていつでもレーサー配線に戻せるようにしたのですが、旅の途中しっかり断線して壊れたので計算通り....まあロシアに入ってしまえば信号もないし全く問題なし。ただ最後、九州に戻ってから家まではずっと手信号...まっ問題なし。
 次の難題はギアレシオ。ノーマルだと最高速で60km/hくらいしか出ないから、一緒に行く相棒のWR250Rを参考にしてトップスピードが同じくらいになるようにレシオを変更。おっ、120km/h巡行できるぞ!っと思ったら1速ギアが離れすぎてスタート時に半クラッチが必要なほど...まっいっか。
 苦労したのが荷物の積載。レーサーだから当然キャリアなんてないし、サブフレームもアルミ製の短いものだし、困った、困った。全部背中に背負うことも考えたけど結局シートの上に左右振り分けのバッグを選択。俺って頭いいなあ、と思っていたら家を出て数時間であわや車両火災。マフラーの熱でサイドカバーも新品のバッグもとろとろに溶けて...
結局シートの上に北海道の道で拾った板を置いてその上に荷物を縛る、もう殆ど不審な浮浪者のバイクになり下がりました。
これでだいぶヨレヨレ感がでたのでロシアでの盗難のリスクは減ったのかもしれません。
完成した作品は居住スペースが恐ろしく狭い背中直角の拷問仕様。荷物が前に攻めてくるので急ブレーキは厳禁です。
 一番困ったのは意外にもキャブレーションでした。まずは出発初日にキャブから燃料漏れ。北海道へのフェリーの日程から部品注文は断念し、神様仏様池田君から新品キャブをもらい万事順調、と思ったらどうにもこうにもアフターバーナーを散らすほど燃料が濃い。国内移動中に散々いじってだいぶ改善したものの、ついによりによってサハリンのど真ん中でご臨終。予期してはいたものの燃料が濃すぎてスパークプラグが死んだのでした。
 それは日本軍玉砕の激戦地、半田集落のトーチカの前で手を合わせてお祈りをして出発しようとしたときでした。
戦死した100人の亡霊に「珍しく日本人が来たのだからもう少し居ろ」って引き留められたのかなあ、なんて考えながら修理開始。
蚊の大群に食事を与えながら思ったのは、日本兵がここで流した血の量に比べれば蚊の大群なんて楽勝だなあ、でした。
 旅も半ばになってようやく気付いたのですが、どうやら燃料が濃かった1番の原因はエアクリーナーの吸入口が荷物で塞がれていたことでした。ちゃんちゃん。
 そんなこんなでバイクはどんどん調子を上げ、結局7000kmを走破してくれました。
WRってすごいバイクですねえ。でも良い子は絶対真似しないほうがいいです。シートが硬すぎて拷問過ぎます。
 
・出発前夜の突貫工事。池田君のおかげで出発できました!
・当初はこんなにスマートだった荷物。サイドバッグが溶けるまでは。
・荷物最終浮浪者仕様。10リッターのスペアガソリンタンクを積み、脱落した浜松ナンバーを紐で括り付けてます。
目の前の川を渡ります。水深は膝上だけど転ばなければ大丈夫。
・右に写っている日本軍トーチカ前でキャブレターを分解....亡霊に合掌。
・電気トラブルでエンジン停止。修理中に人の不幸を喜ぶ悪友
・北部の悪路は埃がひどいのでマスク代わりにパンツを被ります。一応新品です。
・サハリン西部の交通量の殆どない未舗装道路。絶景が広がる旅のハイライトの1つ。
・間宮海峡を臨みながら続くのどかで美しい景色
17:38 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
樺太探検2
コマッぺに怒られるのでもう少し樺太写真載せます。
 
・これ、ガソリンスタンドです。見た目じゃ直ぐには分かりません。人に聞くか勘で探します。
欲しい容量を鉄格子の向こうの店員に告げて金を払う。すると払った分だけ給油できる。
ハイオクは田舎では手に入らないし、売り切れで店が閉まっていることもしばしば。
・まれにあるレストランでの食事。まずまずいける。ロシアなのでサービス精神はどこへ行ってもゼロ。
・恵須取神社跡地に残る鳥居。今は鳥居の向こうには神社の代わりにロシア人の民家がある。
日本時代の遺構をなぜ壊しも直しもせず放置したままにするのか理解不能。
日本の最近の新聞に樺太の日本時代の遺構保存のために日本がロシアに金を出す...とあったが馬鹿げた話。
したたかなロシアに金だけ騙し取られるだけなのに、愚かなお人好しの日本....
・日本人の建築の廃墟。壁に「玉」の屋号が見えます。玉田商店或いは玉木問屋といったところでしょうか。
​少年少女時代にここで敗戦を迎えた人ならまだ日本のどこかでご存命の方も多いはず。
​ふるさとの変わり果てた景色に胸が痛むのでしょうか。
・旧塔路近く。今も石炭の採掘が盛ん。ソ連軍の上陸で多くの民間人が犠牲になったのも今は昔。平和そのものの風景。
・労働者の通勤トラック。車高も高くエンジン吸気ダクトが屋根の上にある!雪解けの増水時の川渡りで活躍しそう。
・日本製中古車が殆どですが、ロシア製も時々。荷物の量がさすがです。そりゃパンクもしますわ。
・圧倒的人気のトヨタの中古車。VISTA愛を感じます。ここまでVISTAを愛した日本人はいないでしょう。
右側通行だけどハンドルはみんな日本のまま。
・旧日ソ国境の旧半田集落に残る日本軍トーチカ内部。ソ連軍侵攻初日、わずか100人の小隊がソ連軍の戦車大隊などの大部隊の侵攻を一昼夜喰い止めて玉砕した場所です。死を覚悟した人生の最後に、小さな窓(銃座)から見た敵の大群に何を感じていたのでしょうか。花の一輪でも持って来ればよかったと後悔しています。
・近くには碑がありました。ガラにもなく胸がいっぱいになりました。戦死したのは今の自分より若い人たちだったことでしょう....
・どんな小さな村に行っても戦勝70周年を祝う垂れ幕があります。日本の帝国主義からロシアが解放したという位置づけです。
実際現地人と話をしたところ、この共産党のイデオロギーは老若男女までよく教育されている様子でした。
旧豊原(ユジノサハリンスク)では秋に戦後最大の軍事パレードもありました。戦争は勝者が正義です。
・宿で相棒と晩酌タイム。今回はテント泊ゼロの大人の旅。ヒグマも怖いけど治安も...なので。
18年前、世界で1番まずいと思ったロシアビールが大変身!かなりうまいぞ。やればできるじゃないかロシア。
21:37 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
樺太探検

97年のロシア横断以来のロシアバイク旅行。
当時2か月テント生活を共にした悪友と北海道からフェリーでサハリン(樺太)に渡り、樺太を一周2000km。
稚内市の補助金のおかげで運行しているフェリー航路が閉鎖になるとのことで出発1か月前に急遽渡航決定。
ロシアビザ、国際ナンバー、バイク準備、といつも通りバタバタとして出発。
サハリンは期待を裏切らず、景色は最高、橋の無い川渡りあり、永遠と続く悪路あり、治安最悪の街あり、と相変わらずのロシア。
サハリンで非常に感慨深いのは各地に日本統治時代の名残が今も少なからず残っていること。
神社の鳥居、王子製紙工場の廃墟、火力発電所の廃墟、日本人の建てた民家、そして今も現役の旧国鉄の線路や列車。
終戦当時、沖縄の人口より多い40万人の日本人が住んでいた樺太。
そして日本で終戦とされる8月15日以降も、侵攻してきたソ連軍との激戦、玉砕、引き上げ。数千人の命の散った2週間。
玉砕の地に残る日本軍のトーチカを前にすると、わずか70年前の出来事が現実の事として胸に迫って来るのが不思議だ。
歴史にもしがあったなら、
もしミズーリ号での降伏調印が9月12日ではなく玉音放送と同時の8月15日だったら今も日本領だったかもしれない樺太。
もしトルーマンがスターリンの北海道侵攻を許していたらロシア領になっていたかもしれない北海道。
もし樺太が今も日本領だったら、治安も良く、インフラも整って、あっただろうセブンイレブン。
そこで最果てまんじゅうを食べられたかもしれない。それはそれで残念だけれど、その代わり、日本時代から時間が止まったままの樺太は、長崎の軍艦島顔負けの廃墟の村々があり、近代史に興味がある人には最高の秘境かもしれない。

・何の意味もない国際ナンバー。結局交換するの面倒で浜松ナンバーのまま走った。全く問題なし
・旧南珍内重油発電所の廃墟
・野イチゴを売るおばあさん。全然甘くないいちご。
・ロシアの鉄道は幅の広い広軌レールだが、サハリンでは日本人の作った狭軌のまま。
・村のスーパー。外からは店だと気が付かない。親切にもカップ麺にお湯を注いでくれた。
・旧恵須取町にある王子製紙工場の廃墟。金になる金属などはもちろん既に略奪済み
17:40 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
初沖縄
ボリビアのオキナワ移住地でお世話になった比嘉先生に日本の沖縄で再び7年ぶりにお世話になりました。
ボリビア流の大歓迎を戴き感謝感激。三線を演奏する彼女は比嘉先生の娘さん、名護市のミス、名護の桜の女王です。
ツリーハウスは別の知り合いの方が名護の山中に建築中。海あり山あり、奥深いです、沖縄。
​もう1つ印象的だったのが平和記念公園にある慰霊碑。戦没者の出身県別の慰霊碑が並んでいるのですが、殆ど全国から派兵されていたのですね。どれもこれも立派な石碑ばかりでしたが、一番奥にこじんまりとした手入れが行き届かない石碑がありました。
樺太の碑です。そう、戦後ロシア領になった今のサハリンです。故郷が無くなったのですから管理する団体もきっと無いのでしょう。今週サハリンへ向かうので南の果ての沖縄で巡り合い、一際感慨深い訪問になりました。

 
17:13 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
アルヘンティナアミーゴ

 4年前、南米バイク旅行中に知り合ったバイク旅行者の中で唯一のアルゼンチン人アミーゴに再会。バイクで家に招待してくれるために遠くから迎えに来てくれました。
サイレンサーすら買えず爆音のおんぼろバイクで旅していた彼ら。
それもそのはず、アルゼンチンは未だにデフォルト地獄から抜け出せず、インフレで物価高。会社員の平均給与は6万円とか。そもそも会社員なんて少数派だし、大方のアルゼンチン人はもっともっと厳しい生活なのですね。
 でも彼Damianも彼女Graceも人生エンジョイ組。ぼろぼろバイクでも笑顔いっぱい。
貧しいスペイン語での意思疎通にも関わらず、得るものだらけ、変わらず笑顔にさせてくれる彼らでした。
10:58 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase
インドバイク
 インドの田舎のガソリンスタンドで給油待ちする2台のバイク。1台目は3人乗り。(驚く無かれ、4人乗りまでは普通に見かける。)後ろのバイクは金物屋さんでしょうね。後ろのタイヤしか見えないけれど。足を縛ったヤギとかニワトリが乗っていることもある。何でもありのインド。こう言う光景がインドの楽しみの1つ。



今、日本でインドバイクを預かっている。インドヤマハ製の125cc。この手の海外生産のバイクは喰わず嫌いしていたが、見慣れ乗りなれてくると意外に面白い。乗って一番感心したのは巡航時のエンジン回転の低さ。それもそのはずこのバイク普通に走ればプリウスなんて全く目じゃない50km/L以上の驚きの燃費なんだそうな。タンク容積が13Lもあるから650km以上無給油で行ける素晴らしさ。これなら南米やアフリカを旅するとしても燃料タンク改造不要。なんと素晴らしい。見慣れてくると、あれっ、まあまあ格好良いんじゃないの?なんて思えてきちゃう。
 バイク好きの友人に見せたら「タンデムシート(後ろの人の座るところ)長いねえ」とのコメント。言われてみれば鋭い指摘だ。確かにインドではサリーと言う民族衣装を着た女性が旦那の後ろで横向きに座るのが普通だからかもしれない。因みにインド車にはサリーが後輪に巻き込まれるのを防止する「サリーガード」なるものも標準装備されている。(写真のバイクは外してます)バイクもお国柄が出るのですね。興味ある人はインド、タイバイクを取り扱うMUモトスさんまで!http://www.muworld.jp/index.html


21:26 | バイク | comments(0) | trackbacks(0) | author : takashimase